何のために勉強しているか
先日の受験生の授業で《君は、今何のために勉強しているか。》と、問いかけました。
ここはさすが受験生です、
「高校受験のため」
「将来のため」
「ライバルに勝つため」
いろんな答えが返ってきました。
ただ、ここでさらに問いかけます。
「いろんな理由があっていいと思っている。けどあくまで自分のためにやるものであって、人のことを見下したり、けなしたりするために勉強している人はいないよな?」
ここで、教室がシーンと静まり返ります。僕はこのクラスで度々、偏差値や小テストで誰が勝った・負けたという小競り合いを目にしていました。
それが健全な競い合いならいいのですが、どこか言葉にトゲがあったり、人を見下すような態度を取ったりするような生徒もいました。僕は、そこに釘を刺したかったわけです。
例えば、北辰テストで偏差値70を取った人がいるとします。
北辰テストの偏差値70は、たしかに誰でも取れるものではないでしょう、立派なことです。その人の周りには自分より勉強ができる人なんていないのかもしれません。
でも、北辰テストで偏差値70だったとしても、たかが埼玉県の上位3%、2000人弱もいる中の1人です。
全国にはもっとすごい人がいますし、世の中にはその人よりすごい人なんていくらでもいるのです。
【井の中の蛙、大海を知らず】とはよく言ったものですね。僕も中学生の頃は勉強では負け知らずでしたから、高校に入って世界の広さを目の当たりにしたとき、自分がいかに小さい人間かを実感したものです。
“たかが”勉強ごときで、人間として優れているなんて思うことは、勘違いも甚だしいことですし、人をけなしたり、見下したりしていい理由になるはずがありませんね。
人間偏差値を高めよ
塾の先生として、こんなこと言うのはどうかと思われてしまいますが、
僕は勉強ができることより、他人を思いやること・他人に優しくなれることの方がよっぽど人として大事なことだと思っています。
僕は、これを学力と対比させて【人間偏差値】と表現します。
勉強の良し悪しは模試で偏差値という数字で表れますが、人間偏差値は測ることができません。でも、その人の行動で人間偏差値は測ることが出来ます。
ものを拾ってもらったなど何かしてもらった時にありがとうと自然と言えること、失敗してしまった時にごめんなさいと言えること、困っている人がいたら手を差し伸べられること、人間偏差値が高い行動ですよね。
一方、ゴミをポイ捨てしたり、挨拶が出来なかったり、言葉で人を傷つけたり、人間偏差値が低い行動も君たちならわかると思います。
大人だから完璧なわけではありません。僕だって人間偏差値が低い行動をしてしまう時はあります。
そのたびに反省して、人間偏差値を高められるように日々精進しています。
無知の知
紀元前にソクラテスという哲学者がいて、《無知の知》という考えあります。
ある分野のことを突き詰めていくと「自分は何でもできる、知っている」 と勘違いしてしまう人が一定数います。
スポーツでも勉強でも。ソクラテスも当時いろいろな人と会話する中で「知ったかぶりをする人」とたくさん出会ったそうです。その中で、
本当に賢い人は自分が知らないこと(=無知)があることを、素直に認められる(=無知であること知る)人
であると説いたわけです。
勉強すればするほど、自分の知らない世界に出会うはずです。
その中で、成長していくためには、「知らないことがまだまだ自分にはある」ということを自覚しなければなりません。
今持っている知識だけで満足することなく、努力を続けなければならないと、ソクラテスは言います。
つまり、勉強すればするほど、賢くなればなるほど、人は謙虚になっていくはずですし、人間偏差値も高くなっていくはずなのです。
君らが勉強する意味はここにあると思います。
得意なこと、苦手なこと、知っていること、知らないことは1人1人、全員違います。それを理解して周囲に振る舞える人、真に賢い人になれるようにお互い頑張りましょう。