言葉は「もう一人の自分」
日本には昔から「言霊(ことだま)」という言葉があり、言葉は「魂」をもっていると信じられてきました。
「魂」ということは「心がある」ということです。口から出た言葉は、周りの人はもちろん、自分自身にも影響を及ぼす「力」があるのです。
日々発する言葉で、もう一人の自分を作っているとでもいうでしょうか。
思っているだけだとあいまいに感じることでも、表現すると確かなことになります。
また、表現した言葉は自分に返ってくるものです。言葉には我々が思っている異常に不思議なパワーがあるのです。
先生をしていると生徒たちの言葉の中で「ん?」とひっかかる言葉が度々あります(暴言・悪口とか、汚い言葉遣い以外で)。
今回は2つの言葉について僕が思っていることを書いていきます。
“苦手”という逃げ
誰にだって苦手なものはあります。僕はきのこが苦手ですし、ホラー映画も苦手です。苦手なものがあること自体は決して悪いものではありません。
でも、僕は出された料理にきのこが出てきたら食べますし、もし好きな子がホラー映画を見ようと言われたら我慢して見ます。
何が言いたいかというと、
苦手という言葉で目の前の壁から簡単に逃げていませんか??と、いうことです。
僕は数学をメインで教えているので、「数学が苦手」とか「図形が苦手」みたいな言葉をよく耳にします。
でも、そういう人に限ってただ覚えるだけの公式さえ覚えていないとか基礎計算の反復に手を抜いているとか、大した努力もせずに苦手と言っている場合がほとんどです。
過去の卒業生に、数学を解いていると蕁麻疹が出たり、ストレスで髪の毛が抜けたりしてしまう生徒がいました。この子は確かに数学が苦手でした、苦手というかここまで行くとアレルギーですね。
でも、その子は北辰の偏差値で70を切ったことはありません。
必要な努力はした上でいう「苦手」は堂々と使ってもいいと思います。
中途半端な努力で、苦手という言葉を使っていると、自己暗示も加わり、どんどんできなくなる負のスパイラルに陥りがちです。
気を付けましょう。
“難しい” ≒ ‟わからない”
同じ問題を解いていても、これは簡単だ!という人もいれば、これは難しい…という人がいます。この両者の違いは一体何なのか考えてみてください。
違いは当然、実力の差です。
1つの問題を山に例えると、難しいという人は、山のふもとから頂上を見上げている状態で、簡単だという人は山頂から見下ろしている状態です。
勉強していれば、難しいと感じる場面は当然あります。むしろ日々新しいことを学んでいくのでそう感じることの方が多いかもしれません。
が、その問題を「難しい」という言葉で終わらせてしまっていませんか??
難しいと言った後に、どうやったら解けるようになるか考えていますか?いつまでに解けるようにしようという計画を立てていますか?
もし「難しい」という言葉一つでそのままにしてしまっているとしたら、先ほどの山の例でいえば、ただ山のふもとから「この山高いな~」と言っている状態です。
高いのはわかった。
それで??
わからないというのは、その問題の全体像が見えていなくて、どう攻略するか目途が立っていない状態、攻略の糸口が見えていない、解像度が低いときに出る言葉であることに注意してください。
難しいと思ってから、そのあとどんな行動をしたかが大事なわけです。
“難しい”も“苦手”も、言うなと思いません。
ただ、その言葉に一番影響を受けるのは自分であることをよく理解しておきましょう。
苦手と言って逃げていませんか?難しいと言ったら、その後どんな行動をとりましたか?
よく考えてください!!