人間万事、塞翁が馬
3/1は、公立入試合格発表の日。
少し、僕自身の昔話を書こうと思います。
僕は、高校受験で偏差値50台から必死に勉強して、それこそ睡眠時間も削って勉強し、川越高校に合格しました。その時の喜びは今でも鮮明に覚えています。努力が報われた瞬間でした。親も親戚も先生たちもみんな喜んでくれたことも、嬉しかったです。
そして、時は流れ大学受験が迫ってきました。僕はその時も、高校受験と同じくらい、それ以上に必死に勉強していました。しかし、センター試験(今は共通テスト)で失敗してしまいました。僕が第一志望にしていた大学は足きりがあり、その試験で基準の点数を取れないと2次試験を受けられません。僕は足きりになり、第一志望とする大学を勝負することさえ許されませんでした。その時の悔しさや悲しみは言葉にはできません。次の日、学校に行く足は今までで経験したことがないくらい重く、友達と話す気分にもなれませんでした。そして、その結果を受けた僕は、模試で第〇志望という欄にも書いたことのない大学を受験し、そこに進学することになりました。
だから、僕は合格の喜びも、不合格の悲しみも、どちらも痛いほどわかります。
ただ、そんな僕が自分自身の2つの受験を振り返った時に思うのが、
どちらもかけがえのない宝物だということです。
当然、不合格はその時は死ぬほど辛かったですよ。
けど、その学校に行ってなければ出会わなかった人や学ばなかったであろうことがたくさんあります。
もし合格していたら、塾の先生をやってなかったかもしれません、君らとも出会わなかったかもしれません、こうやって僕の経験を話すこともありませんでした。だから振り返れば、不合格でよかったと今は思えます。
何が良くて、何が悪いか、なんてその時にはわかりません。絶望だと思うことも、振り返ればよかったと思うことはいくらでもあります。
人間万事塞翁が馬ということです。
常に何か目標をもって、今を必死に生きることが大事なことだと思いますよ。ましてや、君らは高校受験で高い目標を持ち努力してきたと思います。そのエネルギーを違う目標に燃やしてくださいね。
高校受験は人生のたった3年間過ごす場所を決めただけに過ぎません。
君らが、ここからどんな人生を送るか、将来になるかは誰にも分かるわけがありません。
これからの君たちの行動で決まるものです。
君らを見てきた1人の身近な大人として、わくわくしながら、君らの成長を応援しています。
合格した君へ
合格おめでとう。
合格は紛れもなく君自身の力でつかみ取ったものだ。
その力が証明されたことは本当に嬉しいことだ。
しかし、力をつけるまでにいろんな人の力を借りたことだろう。成功体験は人に自信を与えるが、傲慢にもしてしまう。
周りの人への感謝を忘れてはいけないよ。
そして、君の合格の裏には不合格になった同級生がいる。その想いを背負って、高校生活を充実させる義務が君にはある。
自分が思い描く理想の高校生活にさせないといけません。
不合格だった君へ
今、君はきっと絶望に打ちひしがれていると思う。
君が受験というものに必死になった分だけ、その気持ちを強くなる。僕もそうだった。
今の君の気持ちがわかるからこそ、今はその絶望をゆっくり噛み締めなさい。泣きたければ、泣けばいい。
その後に、一つ質問させて欲しい。
「この受験、納得いく結果になったか?」と。
不合格だから、当然満足いく結果にはなってない。
でも、やれるだけのことをして、自分の全力を尽くした結果なら“納得”はできるはずだ。
「やれるだけことをしてダメだったなら、仕方ない」と。
納得いく結果なら、縁がなかったと割り切るしかない。次、何かに挑戦する機会で満足いく結果にできるようにしような。
もっとああしておけばよかった、こうしておけばよかったと後悔が残っている“納得”ができない結果なら、まだまだだったな。
この受験が、最低でも、どんな結果であれ自分が納得できる努力はしようと、教訓になることを祈る。
最後に、絶対に忘れて欲しくないことがある。
それは、この不合格という結果が君自身の努力や人生を否定するものでは決してないということ。
今まで築き上げてきた教材や解いた問題の数々。誘惑を我慢して勉強した時間。勉強で通じた仲間、先生、家族の支え。受験に費やしてきたすべての経験が君の中で今も生きている。
それはこれからの人生の糧になるものだ。
今すぐにとは言わない。
少しずつ、少しずつ。
また目標をもって、前を向いて、君が君らしく頑張れることを、
この不合格が君らの人生を照らす道しるべになることを祈っているよ。