お守りの本当の意味
国語の「古典」を勉強していると、面白い発見があります。
例えば「おどろく」は、今は、びっくりするという意味ですが、昔ははっと気づく、目が覚めるという意味でした。同じモノや言葉でも、昔と今で意味合いが違うものというのが多く存在します。
今回紹介するのは最近僕が知った、神社で買える「お守り」は、今と昔で意味合いが違うという話です。
現代のお守りは知っての通り、厄除け・招福など人の願いを込めた縁起物であり、基本的には“自分で”神社やお寺に出向き、買うものです。
しかし、昔は、神社や寺に訪れるのは簡単ではありませんでした。江戸時代においては、藩が移動を厳しく制限していたため、庶民は藩の外へ簡単に行くことはできなかったのです。
そんな時代でも唯一許されていたのが、信仰心に基づいた巡礼です。信仰心は無下にできないということで、神社仏閣への巡礼に関しては許可をもらえました。
そんな風にはるばる訪れた場所で、神や仏からの加護を自分の家族や友達とも分かち合いたいと思って購入するのが「お守り」です。
「このお守りを、あの人に渡したい」「加護を分かち合いたい」という想いこそが、その人を守ってくれる。その想いがあるからこそ、帰りの道中も無事に過ごせる。
また、そうした他人を想う気持ちがあるからこそ、加護を得ることができる。
【他者のために…】という想いで存在したのが「お守り」だったのです。
“夢”や“やりたいこと”がない人の方が成功しやすい??
ビリギャルの著者である坪田先生の本に「やりたいことが見つからない君へ」という本があります。中・高生にとってもためになる本なので、ぜひこのGWにでも読んでみて欲しいです。
この本の中で「“夢”や“やりたいこと”がない人の方が成功しやすい」という一説があります。
この真意は、夢がない人は自分のためではなく、目の前の人のために行動してみて欲しいということです。
目の前の相手のために全力を尽くしたら、それは仕事になりますし、もっと範囲を広げてこの世の中の人のためと行動したら立派なビジネスになります。
前回のTOP-timesでも紹介した馬淵さんも、自分のためではなく、他者のために、と行動している人の1人ですね。
逆に小さい頃から自分の夢がある人は、独りよがりになりがちです。例えば、絵を書くのが好きな人が、自分の書きたい絵やマンガを書いていても、それが世の中に受け入れられるかはわかりません。絵を書く職業を否定しているわけではありませんよ。
売れる漫画家や画家がほんの一握りのように、自分が「こうしたい、こうなりたい」を仕事にするというのは本当に難しいことなのです。
かくいう、僕も小さい頃から教師を志していたわけではありません。恥ずかしながら高校や大学も、ここに入ってこれがしたいというような明確なビジョンをもって選んでいません。
けど、EIMEIの先生をやってみて、目の前の生徒に尽くす喜びを知りました。いい授業をするために、成績をあげるために、と必死に何時間も準備するのが全然苦じゃないんですよね。
将来に明確な想いがなくても、【 他者のために 】と行動し続けると、それが夢になり、仕事になるものだと思います。
利他の心
「勉強は自分のためにやるものだ」「自分の将来のために勉強しなさい」と、みんな言われてきたのではないでしょうか。
でも、本当にそうでしょうか。
去年、僕の担当した子に「いい成績を出して、親を喜ばせたい」と、偏差値70まで成績を伸ばし、川越東の特待生入試に合格した子がいます。
はたまた「先生たちを喜ばせたくて…」と学年1位を目指したり、成績を上げたいと頑張っている生徒がいることを知っています。
勉強は自分のためにやるものであることは、間違いありません。
しかし、そのエネルギー源が自分のためだけではない、誰か【 他者のために 】という想いがある人の方が、簡単に折れることなく諦めず、結果を出せる人が多いような気がするのです。
利他の心を大事にしましょう。