学べば学ぶほど「わからないこと」は増えていく
新しいことを学べば、その先が気になるようになります。復習すれば、定着していないものがわかりますよね。自分をより厳しい目で見れば、未熟な部分がどんどん見えてくるはずです。
テキストを開けば、解ける問題もあれば、解けない問題もあるでしょう。
勉強をしていくと当然「できること」も増えますが、と同時に「わからないこと」が増えていくものです。
そして、受験生となれば、志望する高校へ合格するために、どういう力が必要なのか、自分に何が足りないのか、学べば学ぶほどそういう“目”も養われていきます。なので、わからないことにイライラしたり、解けない問題と出会って焦ったりする必要は全くありません。
さらに、勉強は不安との戦いでもあります。「正しい勉強ができているか」「このままでいいのか」「志望校に合格できるか」など悩みは尽きません。
が、それが当然です。
未来のことは誰にもわからないもので、人は「わからないこと」に不安を覚える生き物ですから。
しかし、教える側からすると、不安を感じない生徒の方が心配です。なぜなら、不安を感じていない生徒ほど「不安を感じるべき状況に気づいていない」からです。
勉強を我が事として捉えてない、現状を直視していない、大して勉強していないから不安にさえならないんでしょうね。
だから、不安は決して悪いものではありません。不安があるから、人は努力できます。その不安が具体的になるように勉強を深めていくことが大事です。
無知の知
紀元前にソクラテスという哲学者がいて、彼の《無知の知》という考えが有名なので、紹介します。
ある分野のことを突き詰めていくと「自分は何でもできる、知っている」 と勘違いしてしまう人が一定数います。スポーツでも勉強でも。ソクラテスも当時いろいろな人と会話する中で「知ったかぶりをする人」とたくさん出会ったそうです。
その中で、
本当に賢い人は自分が知らないこと(=無知)があることを、素直に認められる(=無知であること知る)人
であると説いたわけです。
「物事を知りたい」という欲求は、「自分は物事を知らない(分からない)」という前提に立たなければ成り立ちません。
貪欲に知識を吸収し成長していくためには、「知らないことがまだまだ自分にはある」ということを前提に、自覚しなければならないのです。
今持っている知識だけで満足することなく、賢くなるべく努力を続けなければならないと、ソクラテスは言いました。
下の画像を見てください。「自分は何でもできる、知っている」と思っていると、もうそれ以上の発展はありません。うまくいかなかったとき、それを他人や環境のせいにします。しかし、他人や環境は簡単には変えられません。
だからこそ、自分自身はまだ発展途上であり、自分のレベルをあげようとする姿勢が大事です。そうすることで解決策も見えてきます。
勉強で人を見下すことの愚かさ
自分が他の人より点数が高かった、自分が他の人より成績がいい、周りの人が解けない問題が自分に解けた、そういう理由で他の人を見下す、バカにするような態度・発言を人がたまにいます。
それがどれだけ愚かな行為か、上の文章を読んでくれた人は理解してくれましたかね。
得意なこと、苦手なこと、知っていること、知らないことは1人1人、全員違います。
それを理解して周囲に振る舞う人、真に賢い人になれるように頑張りましょう。