「指導する側が厳しくできない」時代の流れ
11月中旬に、イチロー選手のとある記事が大きな話題になりました。高校球児に語りかけるイチロー選手の言葉をぜひ君らもぜひ読んでみてください。
読んでほしい部分を抜粋しました。
“高校生でも自分を導くのは難しい。でも、これからの時代、自分を高めていこうと思ったら、自分に厳しくできる人間にならないといけない。自分を厳しい方に持っていく、厳しい道を選べる。でもそれを重ねていったら、大変で挫折することもあると思うけど、そうなれたらめっちゃ強くなる。
でも、導いてくれる人がいないと普通は楽な方に行くでしょ。自分に甘えが出て、結局苦労するのは自分。厳しくできる人間と自分に甘い人間、どんどん差が出てくる。今は、自分を甘やかすことはいくらでも今できちゃう。そうなってほしくない。いずれ苦しむ日が来るから。大人になって、社会に出てからも必ず来る。今のうちから、できるだけ自分を律して厳しくする。これはなんかね、高校野球というよりも大きな、もうちょっと大きな話になっちゃうね。
でも自分たちで厳しくするしかないんですよ。ある時代まではね、遊んでいても勝手に監督・コーチが厳しいから全然できないやつがあるところまでは上がってこられた。やんなきゃしょうがなくなるからね。
でも、今は全然できない子は上げてもらえないから。上がってこられなくなっちゃう。それ自分でやらなきゃ。なかなかこれは大変なことなんですよ”
記事を読みたい人はこちらから読んでみてください。
イチロー選手が警鐘を鳴らすのは、タイトルにもある通り「指導する側が厳しくすることが出来ない時代の流れ」です。
10~20年前は、部活動も含め学校生活は今よりずっと厳しかったです。今の方が、小・中学生にとってはずっと過ごしやすく、ずっと優しい世界になっています。
それは、いい面もあり、悪い面もあります。イチロー選手が言及しているのは、その悪い面についてです。
決して体罰などを肯定しているわけではありませんが、確かに先生という日々指導していると確かに「厳しさ」を出しづらい場面が増えたように感じます。
コロナの流行がその流れに拍車をかけました。
少し具合が悪いというだけで学校が簡単に休めてしまう環境、立ち向かわないといけない壁から簡単に逃げることができる時代、親以外の大人がそれに対して「厳しく」してくれる機会が少なくなっているのです。
その時代をイチロー選手は「酷な時代」と表現しました。
スポーツでも、勉強でも、社会に出ても、自分で厳しくできる人と自分に甘くなってしまう人との格差がどんどん広がっていく。そんな時代になっています。
剥き出しの「自己責任」の時代へ
この記事でこんなことも書かれていました。
“「厳しい大人」というのは、若者を「一定のラインまで引き上げる」ことを、責任をもって保証してくれる人でもありました。その指導やフィードバックが厳しくても辛くてもしんどくても、とりあえず信じてついていけば、ある程度の高みにまでは自分を運んでくれる、そういう指導責任を頼もしく引き受けてくれる人でもありました。
いまの時代は、そういう「厳しい大人」という存在を、子どもたちにとって加害的であり、抑圧したり心の傷を負う原因となってしまうリスクがあるということで排除してきた。
それによって、たしかに子ども時代に理不尽やトラウマを味わう機会がめっぽう減ったことは間違いないが、かつてそういう人たちによって保証されていた「高み」に上がって来れるかどうかは、完全に「自己責任」になってしまった。”
1・2年生向けに行った9月のTOPイベントで
「結局はすべて自分次第といつ気づくかが大事」という話を最後にしました。
今までの時代は、それに気づこうが気づかまいが、周りの大人や環境がある程度のところまでは引き上げてくれていたのが、変わってきているのです。
「自己責任だから、頑張れ。あとは知らんけど。」というのが時代からのメッセージなのです。
僕らは君らの将来を案ずる身近な大人として、君らの将来を「自己責任だから勝手にしなさい」とは言いません。
それが本当の優しさではないと思っているからです。大人になってからは、自分に厳しくしてくれる人はほとんどいなくなります。
その中で、この学生時代に、自分の将来に責任を持ち、自分を成長させられる精神と土台を作ってほしいと思います。
塾に通っていればある程度「厳しさ」に触れると思います。
嫌だなと思うこともあるかもしれませんが、その厳しさの裏に何があるかを君らも考えて欲しいと思います。